1859年(安政6年)、横浜が開港すると外国人居留地(一種の租界)が造成され、欧米人とともに多数の中国人買弁が来住した。
その後、横浜と上海、香港間に定期船航路が開設されると、中国人貿易商も来住し、居留地の一角(現在の山下町)に関帝廟、中華会館、中華学校などを建てていった。これが横浜中華街の原型である。
この頃の商店は日用雑貨店、衣料品店、食料品店などの店が大半で、中華料理店は多くなかった。
1894年(明治27年)に日清戦争が勃発すると中国人の多くが帰国してしまうが、戦争が終わり、1899年(明治32年)に条約改正により居留地が廃止されると、中国人は職業制限を受けたものの、居留地外にも住むことを許された。
