外国人居留地
鎖国時代の長崎に設置された出島や唐人屋敷も、一種の居留地といえる。
出島のオランダ人や唐人屋敷の中国人はみだりに長崎市街へ外出することは許されなかった。
1854年の日米和親条約では米国商船の薪水供給のため下田、箱館の2港が開港され、日英和親条約では長崎と箱館が英国に開港されたが、外国人の居住は認められなかった。
その後、ロシアやオランダと締結された和親条約も同様である。
東京は、開港場ではないが、開市場として1869年に築地鉄砲洲に外国人居留地を設けた。今日の中央区明石町一帯である。
しかし、横浜居留地の外国商社は横浜を動かず、主にキリスト教宣教師の教会堂やミッションスクールが入った。
このため、青山学院や立教学院、明治学院、女子聖学院の発祥地となっている。
また外国公館も多く、1875年にアメリカ合衆国公使館が設置され、1890年に現在の赤坂に移転するまで続いた。
築地居留地も1899年の治外法権撤廃で廃止されている。
